40歳代でも2人産めた~高齢出産秘話と子育ての苦悩~

不妊治療、不育治療を経て40歳代で2児を出産しました。

アッシャーマン症候群~不妊、不育のと戦いの10年間~

たて続けに繋留流産をした私は、短期間で2度の流産手術を受ける。その後、血液検査をした病院で不育症である事が判明する。同時に私は自分の身体に起きている、ある変化に気付く。月経時の出血量が徐々に減少している事。直近の月経では不正出血程度の出血しかなかった事。おそるおそる医師に相談すると子宮鏡検査を受けるように言われる。検査後、私は恐ろしい宣告を受ける事となる。

 

 

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子宮鏡検査

検査台の上に乗り20分ほどで検査は終わったがもっと長く感じた。痛みはあまりないと説明されていたが生理痛よりはるかに重く、鈍い痛みを感じた。我慢できるギリギリの痛みと言ってよいだろう。「うぅー。」と、小さなうめき声をあげると検査を手伝っていた看護師さんが、私の手を握ってくれた。そして反対の手で私の甲をやさしく手をさすってくれた。そうでなければ耐えられなかったかもしれない。下から水のような物が流れている感じがしたが、後で調べるとそれは検査用の水を管で子宮内に流しながら内部を膨らませ、その様子を観察するためだったようだ。その後診察室で検査の結果が説明された。

 

私の身体に起こっていた恐ろしい事

私の病名は「アッシャーマン症候群」というらしい。初めて聞く病名だ。アッシャーマン症候群とは流産手術や分娩後の処置など子宮内に何らかの医療的処置が行われた時に生じる子宮内の癒着である。症状は月経量の減少や、無月経である。子宮内膜が成長できないため、不妊、流産、癒着胎盤の原因となる。

 

治療は主に子宮鏡にて剥離を行う事が多いという。軽度の癒着であれば、今回の子宮鏡で剥離が可能だったという。だが私の場合は、癒着の範囲が極めて広範囲であり、子宮内にほとんど空間がみられないという事だった。

 

現時点での妊娠は極めて困難(不可能)である。またアッシャーマン症候群の症例は少ない(実質、ほとんどないと言われた)ため、治療が可能かどうか、今は説明できない。複数の医師で話し合ってから改めて説明するとの事だった。

 

つまり症例が少ないうえに見たこともないほど、ひどい状態なので、治療方法がわからない。治療できるかどうかもわからない。医師でさえどうしたらいいのかわからないと、言われたのだ。

 

絶望

 

 

何もかも、もう終わったんだ。そう思った。

 

 

 

私がいったい今までどんな悪い事をした報いだというのだろうか。前世でなにか残忍な事でもしでかしたのだろうか。そんなつまらない、ばかばかしい考えが頭をぐるぐる回る。どんなに前向きになろうと試みても何も建設的な考えが浮かばない。

 

家に帰って布団にもぐりこんで泣く事しかできなかった。

 

この世には何も希望など残されていないのだと思った。これまでも十分に試練をうけてきた。悲しい事ばかりだった。それなのに、これ以上私に何を耐えろと言うのだろうか。

 

世間には簡単に妊娠して出産している人がたくさんいるはずなのに、何故私にはそんな事もできないのだろうか。この世のすべてが憎かった。もう頑張る事ができない。誰も知らないところへいきたい。消えてなくなりたい。

 

そんな気持ちだった。

 

今回参考にさせていただいたのはこちらの記事です ↓ 

子宮内腔癒着(アッシャーマン症候群)の原因・検査・治療|医療法人オーク会

 

 

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