子宮鏡手術~不妊、不育のと戦いの10年間~
私が診断された病名は「アッシャーマン症候群」。それはほぼ症例のない疾患であった。治療ができるかわからないと言われた私は、消えてなくなりたいと思うほど絶望していた。
アッシャーマン症候群、治療はできるのか
子宮鏡検査後、初の受診。「治療は不可能です」と言われるのが恐ろしくて恐る恐る診察室のドアを開く。
治療方法を医師団で検討した結果、子宮鏡手術をを提案された。しかし前回も説明を受けたように、癒着の範囲があまりにも広いため、手術を行っても妊娠可能な状態にできるかどうかわからないとの事だった。妊娠可能な状態にできる可能性はどの程度あるのか質問すると、こればかりはやってみないと何とも言えないと言われてしまう。
手術はできるのだ。とりあえず最悪の事態は免れたようだ。しかし手術を行っても妊娠できない可能性も高い。医師の口ぶり、表情から推測すると妊娠できる可能性は低いのではないかと悪い方向に考えてしまう。可能性が低いとしても手術をうけるべきなのか、もうわからなくなっていた。
手術をうけるべきか
家に帰って夫に診察の内容を説明する。手術を受けなければ妊娠の可能性はない事、手術を受けたとしても妊娠できない可能性が高い事、手術によって妊娠できる状態なっても、また不妊治療と言う出口の見えないトンネルを彷徨う事になる事。どうすべきか色々話し合った。
話し合いの結論は、私たち夫婦はまだ子どもを持つ事を諦めたくないという事だった。これから先、不妊治療を再開する事で辛い思いをしたとしても、少しでも可能性があるならば手術を受けてみよう。手術の結果、妊娠が不可能だとすれば、それを受け入れようという事だった。
夫婦で手術の説明を受け同意書を提出すると後は機械的に手術日や入院の予定が決定していく。あっという間に手術当日を迎え手術台の上で麻酔のため意識を失う。
手術の結果
目覚めた私に手術の結果を医師はこのように私達に説明した。
妊娠に必要なスペースは確保できましたが、全ての癒着は剥離できませんでした。卵管部分の癒着が強いので、自然妊娠は難しいでしょう。今後は内膜がどの程度回復するかが問題です。
医師の説明を聞き安堵する。治療が不可能かと思われたほど広範囲の子宮内膜癒着症「アッシャーマン症候群」。その子宮内膜の癒着の剥離はできた。これで不妊治療に取り組める事ができる。不妊治療を続ける事すらできない状況からは脱する事ができたのだ。今の状況から再び前進出来る事に喜びを感じていた。
ここから先、まだまだ長い闘いが待っているとはこの時は考えてもいなかった。全てが良い方向に進んでいると思い込み、幸福感のなかにいた。
手術後(麻酔中に)再癒着防止のため避妊用リングを子宮内に挿入した。これを2か月後に抜去し、その後はカウフマン療法を行い子宮内膜の回復を目指すとの事であった。
手術の成功は新たな試練の始まりにすぎない
子宮鏡手術を終え私はある決断をする。妊娠できる可能性がある時間は残りわずか。ならば仕事を辞めて治療に専念する。不妊治療は今しかできないけれど仕事はまたいつかできる。この時私は40歳を目前に控え不妊治療の事しか考えられなくなっていた。