40歳代でも2人産めた~高齢出産秘話と子育ての苦悩~

不妊治療、不育治療を経て40歳代で2児を出産しました。

高リン脂質抗体症候群~不妊、不育との戦いの10年間~

 


3度目の流産を経験した。流産手術後、体調が落ち着いたところで「不育症」の検査のため地域で一番大きい病院を受診する。保険適用外の検査も多く存在する不育症検査。今では各自治体で助成制度が設立されてるが、私が検査を受けた当初は自己負担が重くのしかかった。

 

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不育症検査

一通りの説明を受け血液検査を受けた。1度目の血液検査で不育症を疑う検査結果が出た。医者は「出た出た、出たよ~」と興奮気味に結果を伝えてきた。大変な病気がみつかったのに何を嬉しそうにしているんだ、と少し不信感を持つ。しかし冷静になって考えてみると何度も繰り返す流産には原因があり、それががわかれば治療ができるという事だった。それは再び妊娠できる事ができれば妊娠を継続できる事ができるという事を意味していた。

 

 

この病気の確定診断をするためには12週の間隔を明けて再度血液検査を行い、再びその項目が陽性である事でやっと診断される。30歳代も後半を迎え妊娠可能なタイムリミットがどんどん迫ってきている中での12週はとても長く感じられた。

 

1回目、2回目の検査共にいくつかの項目で不育症を示す値が陽性となった。私は「抗リン脂質抗体症候群(APS)」という病気らしい。しかも難病指定の病気だ。つまりはっきりとした原因は不明という事だ。

 

 

抗リン脂質抗体症候群は、血液中に存在する抗リン脂質抗体という自己抗体が誤って自己の正常な細胞を攻撃してしまう病気(自己免疫疾患と言います)である。流産を起こす原因は胎盤血栓ができたり、胎盤の血管がダメージをうけ、胎盤の機能が失われてしまうためと考えられている。

 

実際に出産後胎盤の検査をしてもらったところ、治療を行ったにも関わらず胎盤内にいくつかの血栓が確認されたとの事でした。不育症治療は万全ではなく私が難病を抱えながら2度も無事出産できた事は、奇跡のような出来事だと考えています。懸命に治療してくださった病院スタッフの方々や、万全の状態ではない胎盤で無事成長してくれた私の2人の子ども達に感謝しています。

 

不育症治療、私の場合

厚生労働省研究班による実態調査によると、不育症患者は約16人に1人の割合でいることがわかっている。また不育症患者が治療を受けた場合、その約8割が最終的には出産に至ると言われている。つまり適切な治療を受ければほとんどの患者が出産できる事を意味している。

 

 

私の場合、抗凝固療法という治療が必要との事だった。妊娠が成立した場合、アスピリンとヘパリンという2種類の薬を使って妊娠を継続させていくという事だった。アスピリンは飲み薬であるのに対してヘパリンは注射薬である。1日2回の自己注射が必要なため自己注射の技術を習得する必要がある。

 

流産の原因である難病が判明し、治療方針が説明される中、治療すれば流産しなくて済むという安堵の気持ちと共に、また不妊治療を再開しなけならない事が辛いと考えていた。不妊治療をしたとしても必ず妊娠できるとは限らない。お金、時間、心、消費されていくものはたくさんあった。しかし年齢の事を考えると限りなく可能性の低い自然妊娠を待っている余裕はなかった。子どもを産みたいのならば不妊治療は避けては通れない事だった。

新たな試練

必要な検査や診察をこなしていく中で、私はある重大な事実に気付く。前回の流産から生理時の出血量がが徐々に減少している事だった。最初はストレスによるホルモンバランスの崩れだと考え気にもとめていなかった。しかし前回の生理では不正出血かと思うほど出血量が少なかった。

 

診察時、医師におそるおそる月経量について尋ねた。まず診察をしましょうと診察台にあがった。超音波による診察の後、医師は「子宮の中の状態を確認してみます」と言い子宮内に何かの器具を挿入した。その途端下腹部に激痛が走る。私は悲鳴をあげて屈みんだ。痛みが引くまで診察台から降りる事ができなかった。痛みが引いたあとのろのろと診察室に戻った私に医師は告げた。「子宮鏡検査をしてみましょう。」それが何を意味しているのかわからなかった。こと時、私の身体に取り返しのつかない大変な事が起きているとは全く考えていなかった。

 

 

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参考にさせていただいた記事はこちらです↓

medicalnote.jp